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2014-07-22

見慣れたいわば当たり前のものに、新たな価値を見いだして行く

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7月15日(火)〜17日(木)の3日間の視察内容を随時ブログにて報告しております。
今日は、【商店街活性化策(豊後高田市)】について。
豊後高田市は大分県の北東部、国東半島の西側に位置する人口2万4千人の自治体。
市の中心市街地は、安土桃山時代から江戸時代初期に築かれた城下町で、その地の年貢米を積み出す港町として栄えたことに端を発します。
近代に入ってからは大正5年に開通した宇佐神宮と豊後高田を結ぶ宇佐参宮鉄道の終点として、又国東半島一円のバス路線の起点として賑わいましたが、昭和30年代以降は人口減少に転じ、その賑わいを失って行きます。
昭和40年に宇佐参宮鉄道が廃線、車社会の進展等により人の流れに変化が起こるなどして中心市街地は急速に衰退しました。
全盛期には8商店街300店舗を抱えていた町も”シャッター通り”の目立つ町へ。
平成に入ってからは郊外に進出した大型店に客が流れ、市街地の空洞化に拍車をかけています。
衰退する市街地。
かつての賑わいを取り戻したい。
平成4年に地元商工会議所が中心となって立ち上げた「豊後高田市商業まちづくり委員会」は議論を重ねます。
そして、商店街が最も華やかで元気だった”昭和”のころのイメージをまちの個性と位置づけ、まちづくりに取り組みはじめました。

商店街では、くしくも昭和30年代以前に建てられた建物で営業している店舗が多く、看板の架け替え等、小規模な手直しで昭和のイメージを持つファサード(店舗外観、お店の顔の部分)をつくることができました。
又「一店一宝」(店に残る古い道具などを店先に展示)、「一店一品」(看板商品をつくる取り組み)、「ふれあい・おもてなしの心」(昭和の商人道に立ち返る)の運動を掲げ、中心市街地の再生に取り組みました。
結果、「昭和の町」というコンセプトが観光スポットとして人気を集め、多くの観光客が押し寄せる町となっています。
(平成13年に2万5000人ほどであった年間観光客が平成25年には37万人!)
地域に残る、見慣れたいわば当たり前のものに、新たな価値を見いだし、産業振興につなげて行く。
補助金を含めて行政が支える部分もありますが、施策の立案や実施は地元商工会が中心となって進めて来ました。
平成17年には「豊後高田市観光まちづくり株式会社」を設立。
(商工会議所、金融機関などが出資する第三セクター方式)
現在、同社が中心となって団体客を受け入れ可能なレストランの営業、観光客をひきつけるイベント実施などを担っています。
今般、その昭和の町を訪問、現地で話を伺うなどし、産業振興策について学んで来ました。
具体的なお話は次回ブログでご報告します。
■昭和の町の商店街
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